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生神女福音大聖堂 (アテネ) : ウィキペディア日本語版
生神女福音大聖堂 (アテネ)[しょうしんじょふくいんだいせいどう]

アテネ生神女福音大聖堂(しょうしんじょふくいんだいせいどう、)は、アテネおよび全ギリシアの大主教主教座聖堂である。ミトロポリス大聖堂との名でも知られる。
大聖堂の建設工事は、ギリシャ王オソン1世、ギリシャ王妃アマリア (ギリシャ王妃)によって礎石が、1842年降誕祭に据えられて始まった。
工事には、大聖堂の巨大な壁を建設するために72の破壊された聖堂から集められた大理石が用いられた。完成には3人が建築設計にたずさわり、20年の年月を要した。1862年5月21日に完成した大聖堂は、王と王妃によって生神女福音()に捧げられた。大聖堂は3つの通路にドームを備えたバシリカ様式であり、長さ40メートル、幅20メートル、高さ24メートル。内部にはオスマン帝国支配時代にオスマン帝国によって殺害された二人の聖人、聖フィロセイ()と、コンスタンディヌーポリ総主教聖グリゴリオスの墓がある。
*聖フィロセイ修道院を建設し、1559年に致命した。彼女の不朽体は今も銀の不朽体入れに収められているのを見る事が出来る。彼女はオスマン帝国のハーレムに捕らえられていたギリシャ人女性を救った事で称えられている。
*国の致命者コンスタンディヌーポリ総主教聖グリゴリオスは、ギリシャ独立戦争の契機となった1821年3月25日のギリシャ人の蜂起の報復として、トルコのスルタンマフムト2世の命令で処刑され、ボスフォラス海峡に遺体が投げ込まれた。彼の遺体はギリシャ人水夫によって引き上げられ、アテネに葬られた。
大聖堂のすぐ北には、小さな聖エレフセリオス聖堂があり、「小ミトロポリス」とも呼ばれている。
大聖堂の正面にある広場には二つの像が建てられている。一つは最後の東ローマ帝国皇帝である国の致命者聖コンスタンディノス(コンスタンティノス11世)のもの。もう一つは第二次世界大戦中にアテネ大主教であり、ギリシャ王ゲオルギオス2世の摂政を務め、1945年にはギリシャの首相を務めた、大主教ダマスキノスのものである。
生神女福音大聖堂はアテネの主要なランドマークとなっており、国家の重要な式典の場となっており、富裕層や著名人の結婚式埋葬式の場ともなっている。
==ギャラリー==

File:Metropolitan Cathedral of Athens01.JPG|修復中の外観
File:Metropoli di Atene, interno 02.JPG|修復中の内観
File:Shrine of Snt Filothei.JPG|聖フィロセイ聖櫃
File:Shrine of Grigorios E.JPG|総主教聖グリゴリオスの聖櫃


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「生神女福音大聖堂 (アテネ)」の詳細全文を読む



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